一休さんの辞世の句

 

 

   

 

 

借り置きし 五つのものを 四つ返し 

本来空(くう)に 今ぞもとづく

(一休宗純 辞世の句)

 

一休 宗純(いっきゅう そうじゅん)

生誕:明徳5年1月1日(1394年2月1日)

死没:文明13年11月21日(1481年12月12日)

 

 室町時代の臨済宗大徳寺派の禅僧。説話のモデルとして知られ、アニメ化された『一休さん』さんは、将軍・足利義満と、とんち合戦をくりひろげ人気を集めました。いまアニメは海外にも輸出され、とくに同じ仏教国であるタイでは大人気となっているそうです。

 

出生地は京都で、出自は後小松天皇の落胤とする説が有力視されている。母は藤原氏、南朝の高官の血筋であり、後小松天皇の寵愛を受けたが、帝の命を狙っていると讒言されて宮中を追われ、民間に入って一休を生んだという

 

 正長元年(1428年)、称光天皇が男子を残さず崩御し伏見宮家より後花園天皇が迎えられて即位したが、この即位には一休の推挙があったという。文明6年(1474年)、後土御門天皇の勅命により大徳寺の住持に任ぜられた。寺には住まなかったが再興に尽力し、塔頭の真珠庵は一休を開祖として創建された。また、戦災にあった妙勝寺を中興し草庵・酬恩庵を結び、後に「一休寺」とも呼ばれるようになった。天皇に親しく接せられ、民衆にも慕われたという。

 

文明13年(1481年)、酬恩庵(京都府京田辺市の薪地区)おいてマラリアにより死去。享年88。臨終に際し「死にとうない」と述べたと伝わる。墓は酬恩庵にあり「慈揚塔」と呼ばれるが、宮内庁が御廟所として管理している陵墓であるため、一般の立ち入りや参拝はできない

 

 

 ■一休さんのロックすぎる人生

アニメのイメージとは対照的に、実際の一休宗純の人生は、ロックンロールなものでした。

 

一休は、上記の辞世を残し、当時の平均寿命の倍近い87歳(1481年)まで長寿で亡くなっています。

一説には、天皇のご落胤だったとされ、その証拠に、今も、一休の墓所は宮内庁によって管理されています。臨終の言葉は「死にとうない」。悟りを得た高僧とは到底思えない、ロックで一休らしい言葉で人生を締めくくってます。

 

僧侶でありながらも、一方では天皇の息子であった一休さん、しかし華麗な出自を自ら否定するような自由奔放で、奇行が多かったと言われています。下のような逸話が伝わっています。

 

① 印可の証明書や由来ある文書を火中に投じた。

② 男色はもとより仏教の戒律で禁じられていた飲酒・肉食や女犯を行い、盲目の森侍者(しんじしゃ)という側女や岐翁紹禎という実子の弟子がいた。

③ 朱鞘の木刀を差すなど、風変わりな格好をして街を歩きまわった。

④ 親交のあった本願寺門主蓮如の留守中に居室に上がりこみ、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をした。その時に帰宅した蓮如上人は「俺の商売道具に何をする」と言って、ふたりで大笑いしたという。

 

 こうした一見奇抜な言動は、当時の仏教の権威や形骸化を批判・風刺し、原始仏教のもつ『空』の概念に挑戦していたのではないでしょうか?

 

現代でも仏教界は、「葬式仏教」と揶揄され、権威主義は度々批判にさらされます。

一休が生きた中世の時代は、僧侶は厳しい修行や、妻帯(結婚)の禁止など、多くの縛りがある一方、その権威が庶民の生活と、かい離していた時代だったのかもしれません。

 

一休のロックで、破天荒な行動は、人間の業や欲に素直に従ったものばかりです。

天皇のご落胤という権威中の権威の地位をすて、乞食僧のおももちで、庶民の家を一軒一軒まわったというエピソードもあり、当時の庶民や、貴族、はては天皇までも、皆が一休のファンであったとも言われています

 

平均寿命が40歳程度であった当時にあって、87歳は恐ろしいほどの長命です。

24歳のとき、ゴゼ(盲目の歌方)の平家物語を聞いて、無常観を感じた彼は「有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)に帰る一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と詠みました。有漏路の“漏”は煩悩の意味。つまり「人生は(煩悩溢れる)この世から、来世までのほんの一休みの出来事。雨が降ろうが風が吹こうが大したことない」とした。これを聞いた師匠は、歌の中からとった「一休」の号を彼に授け、以後一休宋純として、その人生を歩んでいきます。

 

その後はあらゆる権威を嫌い、寺籍を置くことなく、旅の行者として、貧しい村々を周り、仏教の布教につとめていきます。

 

そして、76歳の時には、盲目の美人旅芸人・森侍者(しんじしゃ)にほれ込み同棲生活をおくっています。長年にわたって権力と距離を置き、野僧として清貧生活を送っていたなか、80歳の時には、天皇の勅命で、戦乱で炎上した大徳寺復興を託されます。一休が向かったのは豪商が集まる堺。貿易が盛んで自由な空気の堺では、破戒僧一休の人気は絶大でした。

 

「一休和尚に頼まれて、どうして断わることが出来ようか」。商人だけでなく、武士、茶人、庶民までが我れ先にと寄進し、莫大な資金が集まった。5年後、大徳寺法堂が落成。一休は見事に周囲の期待に応えています。

 

 

■一休さんの名言

 

・借り置きし 五つのものを 四つ返し 本来空(くう)に 今ぞもとづく

 

・花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖 はもみじ、花はみよしの

 

・女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む

 

・世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬを待つばかりなり

 

  

一休は他界する直前、「この先、どうしても手に負えぬ深刻な事態が起きたら、この手紙を開けなさい」と、弟子たちに1通の手紙を残したといわれています。

その数年後、弟子たちに今こそ師の知恵が必要という重大な局面が訪れた。固唾を呑んで開封した彼らの目に映ったのは次の言葉でした・・・

 

「大丈夫。心配するな、何とかなる」。

 

一休さんの半生はロックンロールですね^^ 

雨ふらば降れ 風ふかば吹け! 一休宗純をみならって、輪廻の淵で、一休み一休み~♪ です^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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