松下幸之助はなぜ経営の神様と呼ばれたのか?

「松下綱領」 

産業人たるの本分に徹し 社会生活の改善と向上をはかり

世界文化の進展に寄興せんことを期す

 

 

松下 幸之助(まつした こうのすけ)

生誕:1894年〈明治27年〉11月27日

死没:1989年〈平成元年〉4月27日)

 

パナソニック(旧社名:松下電気器具製作所、松下電器製作所、松下電器産業)を一代で築き上げた経営者。経営の神様として今なお尊敬を集めている。 自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。政経塾からは2011年 野田総理が誕生している。 松下氏は、社員に対し、「松下電器は何をつくっている会社か」と尋ねられたら、「人をつくるところでございます。あわせて電気製品をつくっています」と申しおくっていたとの逸話は有名

 

売上高  :7兆8000億(2016年度 連結)

従業員数:26万人 

 

なぜ松下幸之助は経営の神様となったのか?

家訓二ストの2作目の著作となった「なぜ一流の経営者は靴をそろえるのか?」では、松下幸之助さんの名言や生き様を数多く紹介しています。商売人として、世界有数の大企業を立ち上げた実績はもちろん、商いと道徳という一見、正反対とも思える理念を実践し、多くの日本人の生活を向上させました。また、近代化が遅れた中国への支援にも積極的で、世界中の企業が二の足をふむなか、当時の政府要人の要請にこたえ、テレビの工場を移転させています。

 

日本はもちろん、多くの人を幸せにした松下幸之助さんは、いつしか経営の神様と呼ばれるようになったのです。大東亜戦争が終結し、日本が焼け野原だったころ、科学技術もまだまだ未発達こともあり、人々は毎日の生活をこなすのにいっぱいいっぱいでした。例えば、朝ごはんを食べるだけでも、コンビニがあるわけもなく、ごはんを炊くにも、薪をこめ、おきる何時間前から準備する必要があります。洗濯だって、手洗いです。やっとのことで、一日の家事をおえても、冷蔵庫もありません。次の日の朝はまた4時におきて、いちから家事がはじまります。

 

松下幸之助が提供した高品質で安価な家電は、こうした家事から人々を開放しました。教会にいったりお経を読んだり、ありがたい神様も大事だけど、リアルに生活を向上してくれる家電たちはまさに神様でした。当時の人々は「三種の神器」(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)と言い換え、懸命に働いた給金から、こぞって家電を買い集めたのです。

 

晩年の松下幸之助は、PHP研究所をたちあげ、倫理や道徳の大切さを社会に直接訴えていきます。また社会変革のためには、政治家の育成が急務だと考え、私財をなげうち政治家育成のための塾、「松下政経塾」を設立。現在、活躍する若手議員の多くはこの塾の塾生です。

 

丁稚奉公から、身1つで、神様にまでなった松下幸之助。ある人が「道徳とはなんですか?」と質問すると、「雨が降ったら傘をさす、そういうもんだ」との明快な返答をされたそうです。机上の空論ではない厳しい商いの世界で育った幸之助だからこそ、説得力のある粋(「いき」)な返答ではないでしょうか

 

父親が事業に失敗し、小学校を中退させられ、丁稚奉公として商いの世界に放り込まれた幸之助少年。学歴がないことは、終生コンプレックスだったと同時に、幸之助の一番の武器となりました。社会的に成功したあとも、歳の大小、肩書にこだわらず、自分の知らないことは、子供のように目を輝かせ質問攻めにしたという松下幸之助。神様と慕われた理由にはそんな一面も大きく影響していました。

 

神様の現状・・・

昭和世代ではなじみの深い松下幸之助さんの歩み。しかし、現在20歳前後の平成世代の若者にとって、幸之助さんはおろか、松下電器、ナショナルまでもが、遠い過去のお話しになってしまっています。実際、著作を編集するにあたり、お手伝いいただいた学生さんには、かなり低い知名度で、逆に驚きました( ゚Д゚)

 

文学や政治家の名前には手厚い教科書も、商売人に厳しい現状があります。そもそも、近現代史自体が手つかずのままで、いまの豊かな暮らしをつくってくれた昭和をいろどる数多くの経営者(偉人)たちが完全に無視されていることが残念でなりません。

 

温故知新。古きを訪ねて新しくを知る。幸之助さんを筆頭に、SONYの盛田さん、ホンダの本田宗一郎さん、ダイエーの中内さん等々、昭和の経営者たちの生きざまを学ぶことは、たくさんの教訓があるはずです。

 

家訓二スト協会の新たな使命を感じるところです!くわしくは、「なぜ一流の経営者は靴をそろえるのか?」をご覧ください^^

 

「水道哲学」と松下幸之助

 

「経営の神様と社訓のお話し」

松下綱領の他に、幸之助さんが生涯つらぬいた哲学が、「水道哲学」です。

 

幸之助曰く、「われわれ産業人の使命も、水道の水のように物資を無尽蔵たらしめ、いかに貴重なものでも量を多く生産し、無代に等しい価格で世間に提供することである。これによって貧乏を追放し、人々に幸福をもたらし、この世に浄土を建設する、これが松下電器(後にパナソニックに改称)の真の使命である」。

 

ひとは麦のみで生きるにあらず

松下幸之助が「水道哲学」の着想に至ったのは、戦前の奈良で、たまたま出くわしたある出来事がきっかけでした。その出来事とは、天理教の信者さんたちによる駅前を無償で掃除(奉仕)する姿でした。

 

一人一人がまじめに、そして楽しそうに奉仕する姿をみて、幸之助さんは、労働争議に悩む自身の従業員との差に愕然とし、一方は、無償で奉仕をし楽しく、逆に会社では、給料をもらいながら、ぐちばかりをこぼしているっと・・・

 

人は麦のみで生きるにあらず。給料を払っているんだから、働いてもらって当たり前!っと、見下した感のあった自身の経営を反省し、給料よりも大事な理念、そして使命感を経営の根本にすえ、前述の「水道哲学」の着想に至ったのでした。その後、松下電器は、労働争議を解決し、自社の発展が、人々の生活を向上し幸福をもたらす「論語とそろばん」を実践する大企業へと成長していくのでした。

 

 

松下幸之助の歩み 

戦後、松下幸之助は、GHQから公職追放の憂き目にあいます。この時、労働組合から追放取り下げの嘆願がでて、GHQのお偉いさんは驚くこととになります。労働者のために、悪い経営者を追い出したつもりが、欧米の経営では考えられない「絆」がそこにはあったのです。のちに嘆願は認められ幸之助は、実業界の第一線に復帰することになりました。

 

松下電器は、綱領にあるとおり、社会貢献を第一義に、そのためにも社員の人としての在り方を訴求する会社でした「松下は、人間をつくる会社です。あわせて電気製品もつくっています。」社員にそういわせるよう指示したとの逸話も残っています。

 

戦後、講演会の席で、こんな意地悪な質問がとんだことがありました。

質問:「松下電器が経営危機になったら従業員を解雇しますか?」と

松下:「従業員の首は切りません。給料も満額払います。その上、従業員に頭をさげて、お金借ります」っと

 

CSR、CSVっと、横文字ばかりの社会貢献が求められる昨今、松下幸之助さんの考える社会貢献は、一にも二にも、会社をつぶさないこと、そして社員の生活を守ることだったのかもしれません。

 

しくじり先生

「じゃんじゃん売れば、会社も社会も幸せになる(家訓二スト意訳)」という水道哲学。

盤石にも思えた神様にも唯一の弱点がありました。その弱点とは、自身の死去というリスクです。実際、偉大すぎる創業者をなくした松下電器は、以後迷走を重ねることとなりました。

 

偉大なる創業者の死というのものは、どの会社にも起こりうるリスクです。問題は、引き継ぐものは、売上なのか?想いなのか?という課題です。 「事業」を引き継ぐ経営者は多くても、「哲学」を引き継げない後継者が多いのではないのでしょうか?残念ながら、幸之助なき松下電器は、金看板であった「水道哲学」の看板をはずし、どこにでもある立派な会社に衣替えすることとなったのです。

 

古くから日本の老舗企業では、事業継承のリスクを減らすため、「社訓」というツールが 用いられています。これは、平成、令和になっても同じことが言えそうです。大きな売り上げがあると、その売り上げを守ることは当然のこと・・・と思いがちです。しかし、「常識」と思われる選択の中にこそ、創業者なきあとの罠がまっています。松下幸之助さんは、「世界文化の寄興」を目的とし、その手法として、電器を使っているにすぎません。目的と手法の取り間違えが、創業者から、後継者への引継ぎの中で一番難しい点なのかもしれません。 幸之助の死後、パナソニックがとった施策はまさに哲学なき迷走に落ち込んでいきます。

 

松下電器を引き継いだ後継者達は、経営学の教科書どおりの施策に奔走し、一時は業績を回復させるものの、長続きせず、やり直し。。。という事態がつづいています。後継の経営者たちは、幸之助があれほどこだわった雇用の維持も撤回し、リストラを実施。また、松下電器、ナショナル、サンヨー、ビクターといった関連子会社のブランドを、パナソニックに統一され社名も変更。いずれの案件も、生前の幸之助が大反対というイワクつきのプランでした。

 

ブランド統一でもたらされる「利」は、効率。そもそも、水道哲学に、ブランドという概念は似合いません。リストラ策のなかには、ドラマ「水戸黄門」のスポンサー契約打ち切りというものもありました。購買意欲の低い高齢者向けに大金をはたいても、費用対効果が薄いとの判断です。こうして、幸之助が心血をそそいで作り上げた「ひとをつくる会社・松下電器」は、世界のパナソニックになるのと引き換えに、ごくごく普通の立派な会社となりました。そして教科書どおりのリストラ策を終えたころ、パナソニックは未曽有の危機に見舞われ、一時は倒産がうわさされるほどの低迷に陥ります。

 

一見、正しいように思えたリストラ策は、松下電器再生のためのシナリオでした。しかしその視線の先に、「社会貢献」という概念があったかどうか疑問です。松下のための松下のシナリオはマーケットから反発をくらったのです。一方、バブル崩壊、リーマンショックのあとのマーケットを席捲したのは、中国であり韓国の新興メーカーでした。

リストラで行き場をうしなった技術者たちは厚遇でそれらのメーカーに迎えられ、わずかばかりの報酬と引き換えに貴重な情報やノウハウ、そして日本のマーケットを失うこととなりました。

 

儲からない・・・っと、松下や日立が捨てた白物家電は、新興諸国のメーカーの草刈り場となり、今日に至ります。歴史にイフはないけれど、幸之助なき松下電器が、社会貢献という切り口でマーケットにのぞめば、違った未来があったのではないでしょうか?

 

想定外の後継者とは?

じゃんじゃん作って、じゃんじゃん売れば、結果みんなが幸せになる(家訓二スト意訳)という「水道哲学」。幸之助の遺志をついだのは、松下電器でもなく、はたまたヒタチや東芝でもないある以外な人物でした。 

 

その男の名は、サムスン電子の李健熙(イ・ゴンヒ)会長です。日本統治下で育った李会長は日本語が堪能であり、松下幸之助の成功を自身の成功におきかえ、猛烈な成長をみせていきます。真似した電気っと異名をもらいつつも、パクリも意にせず、安くていいものをじゃんじゃん売った松下幸之助。今度はサムソンが、この手法をとりいれ、飛ぶ鳥をパクリまくってマーケットを席捲したのも、時代の皮肉です。

 

実際、李会長は、「経営の神様」といわれる松下幸之助かを尊敬し、講演録を欠かさず聞いていたほか、幹部たちにも、松下イズムを叩き込みます。意外な後継者となったサムソンの李会長。幸之助の精神を実直に受け継いで実践していたことで、日本はもちろん、世界中に幸せを配り、そして会社と国(韓国)に多大な「利」をもたらしています

 

会社が大きくなるにしたがい、高学歴のサラリーマン社員が増えるとどうして会社は保守的になりがちです。一方、創業者には、失敗しても一から同じ会社をつくってやる!という気概が、あるのではないでしょうか?つまり、売上なんて屁とも思っていない。そして無くなっても、最初に戻るだけだと「博打」(思い切った手段)を打てるのものです。引き継いだ経営者は、これができない。実は、幡谷もそんなひよっ子経営者の一人です

 

今回のブログを書くにあたり、ネットサーフィンをしていると、戦前、幸之助が超高額のラジオの特許を買い取り、それを公開したことで、ラジオの価格低下が加速され、一気に普及。結果、国民に娯楽の時間をもたらしたことを勉強させていただきました。

 

幸之助にはなれずとも せめてなりたや ノーベル賞 以上、めざすべき先達を確認できた家訓二ストでした。

 

 

家訓二スト協会(仮) 幡谷哲太郎

 

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書籍名: 世界一簡単な「幸せを招く家訓」のつくり方

著者 : 幡谷哲太郎

発売日: 2015年6月1日

出版社: セルバ出版

価格 : 1,600円+税

 

URL  : http://www.amazon.co.jp/dp/4863672063