長州・毛利藩家訓と「まだ早い」の逸話

 

 

 

 

 

 「天下を競望せず」

 (毛利家 家訓より) 

 

 

 

毛利 元就(もうり・もり もとなり) 

生誕:明応6年3月14日(1497年4月16日)

死没:元亀2年6月14日(1571年7月6日)

 

室町時代後期から戦国時代にかけての安芸の国人領主で、後の戦国大名。家紋は一文字三星紋。

 

安芸の小規模な国人領主から中国地方のほぼ全域を支配下に置くまでに勢力を拡大、中国地方の覇者となり「戦国最高の知将」「謀神」などと後世評される。用意周到かつ合理的な策略及び危険を顧みない駆け引きで、自軍を勝利へ導く稀代の策略家として名高い。子孫は長州藩の藩主となったことから、同藩の始祖としても位置づけられる人物である。 

 

息子たちに結束することの大事さを説いた「三本の矢」の逸話が有名

 

「謀神」元就

謀(はかりごと)と書いて「謀神」。数多い戦国武将のなかでも、毛利元就ほど謀略に長けた武将は見当たりません。「ひとへニ武略、計略、調略」と、元就は嫡男・隆元に与えた教訓状に記されています。勝敗の行方は謀略にあるのだから、一にも二にも謀略と、その重要性を強調しています。謀略の基本は情報収集と政治工作で、二十一人の隠密を擁して謀略を行ったという世木(世鬼)一族や、座頭衆の盲人法師を各地に派遣しています。

 

例えば、出雲の武将・尼子晴久と尼子一族の新宮党の不仲に乗じて、新宮党と毛利が通じているという噂や偽の密書でさらに不信を増大させて晴久に新宮党を滅ぼさせ、尼子氏の力を削いで背後の憂いを絶った。

 

陶晴賢を厳島に誘出だすために、2つの偽情報をこしらえた。まず一つは「元就は厳島を攻められたら勝てないと言っている」。毛利の家臣も知らない極秘情報であるかのように、しかも晴賢の耳にしっかり届くように流した。もう一つは、毛利の重臣・桂元澄本人に「晴賢殿が厳島を攻めたら、自分は元就の背後を攻めよう」という偽の密書を送らせる。その結果、晴賢は元澄の言葉を信じてしまった。

 

元就のこうした戦術から、武将といえども大切なのは武力そのもの以上に頭脳の働きによるものだとといえましょう。

 

 

毛利家家訓要約

 

我が毛利家は、版図の保全のみを願い、天下を望むなかれ (天下を競望せず)。

天下を支配する者は如何に栄耀栄華を誇っても、何代かのちには一門の枝折れ、

株絶えて、末代の子孫まで続くことは無い。

天下に旗を翻して武名を一世に挙げるよりは、むしろ六十余州を五つに分けて

その一つを保ち、栄華を子々孫々まで残せ。

  

 

■「まだ早い」 270年間つづいた毛利家の秘密の儀式

鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて、続く名門武士団であり、戦国時代には、中国地方最大の勢力となる。しかし1600年の関ヶ原の戦いでは西軍の総大将となり、敗戦後、周防国・長門国の2ヶ国に減封される。しかし、江戸時代を通じ度重なる幕府からの嫌がらせに耐え、藩の隆盛をたもち、ついに江戸時代末期には長州藩から数々の優秀な志士が現れ、明治維新を成就させる原動力となった。

 

司馬遼太郎の著作には、毛利藩の反骨心を示す逸話を記しています。その逸話とは、江戸時代の270年間、毛利家にはある秘密の儀式です。

 

新年を祝う宴の席、家臣は殿さまを前にかしこまりながらも、次のような言葉をかけます。

 

家臣:「今年は倒幕の機は如何に?

藩主:「まだはやい

 

 

毛利家が率いる長州藩は、江戸代末期、長州征伐等により幕府から圧迫を受けたが、吉田松陰や高杉晋作、桂小五郎等の有能な人材を輩出し、明治維新を成就させています。その背景には、関ケ原の戦いの後の苦難を忘れず、270年にわたって雌伏の時をすごし、討幕を成就させた毛利藩の恐ろしい「執念」を感じないでしょうか?

 

表だっての家訓には、「天下を狙わず」とありながらも、新年の会では、「時期尚早」(まだ早い)との討幕の遺志を確認するしたたかさが素敵です。

 

家訓の中には、毛利藩の「討幕」や、水戸藩の「主は天皇家」など、口伝による秘伝の家訓も存在します。文書では確認できない資料であっても、その後の藩の歩みをみれば、秘伝の家訓がいかに藩の命運を分けていったかが分かる事実です。

 

 

■長州藩の雌伏の歴史

長州藩の苦難はの発端は1600年9月15日の関ヶ原の合戦です。西軍を率いていたのは総大将・毛利輝元。度重なる裏切りがおこり大敗北を喫した後、徳川家康は、信賞必罰とばかりに長州藩を120万石の大大名から、わずか36万石の周防・長門2国の中規模の大名に落とすのでした

 

120万石から36万石。1/5になってしまったということは、家臣たちを養えなくなったということに他なりません。1万8000石から300石に減らされた者、1200人もいた家臣も土地を失い国を離れる者、農民へと転身するものが続出します。おまけに幕府の手伝い普請が追い打ちをかけます。伏見城の復旧、江戸城の普請等、莫大な費用が必要でした。長州藩のスタートは、どん底だったのです。

 

いつ取り潰されるかもわからない中、復讐の国づくりが始まります。

  

”御前仕組方”という藩主直属の改革プロジェクトチームを作り新しい税収を求めて新たに検地をおこないます。そこには豪農の協力が必要です。もともと長州藩には、防長2か国に押し込められた時に召し放ちになった武士がたくさんいました。武士で農民化した者は、また武士に戻りたい、そこを利用して武士化できる道をひらき、豪農たちに武士の身分を与えたのです。

 

そして長州藩の石高は、36万石から実質89万石へとなっていったのです。越荷方という藩直営の倉庫金融業も起こし、総合商社のように商人たちも育成。幕末には伊藤博文・高杉晋作・桂小五郎、この3人は、越荷方をして、金銭感覚を身に着けたようです。そして、幕末には長州藩の隠し財産は100万両となっていました

 

腹が減っては戦はできない

270年の太平の世の間、伊達正宗がきずいた仙台藩や、上杉謙信に由来がある上杉家など多くの雄藩は、藩を保つのがいっぱいいっぱいで、没落していきます。しかし、西国にとどまった長州藩、そして薩摩藩は、関ケ原の恨みを忘れず藩の財政を健全化し、銭をたくわえ、倒幕の時を待つのでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■大日本帝国は、長州幕府だった!?

 

明治維新後、日本の総理大臣には、初代伊藤博文からはじまり、安部総理まで計8人が歴任しています。その数はダントツで、明治維新の中心となった長州藩が、維新後の政界に多く出世していったことによるとされています。そのことをさして大日本帝国は、長州幕府だったっと揶揄する声も聞こえるほどです。

  

歴史は勝者がつくる 

幕末維新の歴史が語られる際には、明治維新を達成した薩摩・長州藩は勝つべくして勝った善玉で、政権の座から退いた徳川方は負けるべくして負けた悪玉という予定調和のストーリーが展開されてきました。だが、それは勝者側の言い分に基づく歴史像に過ぎないのではないでしょうか?こうした勝者によってつくられた一方的な歴史のとらえかたを「長州史観」と表現されるようになりました。 

 

歴史は勝者によって作られるもの。つまり今、通説とされる「歴史」は、勝者によってねつ造された都合のいい歴史です。

たとえば、大東亜戦争後のGHQによる言論統制。戦後70年でようやくその嘘と向き合うムードになっています。近年では、原子力をめぐる報道でも、さまざまなデマや、意図的に隠された情報が問題になりました。

 

「正義」は常に控えめです。そして、深慮深く見守らないと、偽りの正義を振りかざす悪者に騙されてしまいます。 明治維新後、政権をとった薩摩長州を中心にした新政府は、西欧列強に対抗するため、様々な施策を打ち出しました。全体として、その業績は素晴らしいものでしたが、全部が全部良かったのか?といえば、違います。

 

新政権をになった長州史観にとって、旧政権となる江戸時代は、暗い時代でいる方が都合がいいものです。農民は搾取され、政治は腐敗していたと、いまだに教科書にはそんな記述がのっています。しかし、農民の暮らしぶりは江戸時代の方が豊かだったとのデータや、汚職は、江戸時代の方がよっぽどかわいいものだということが常識になりつつあります。

 

汚職天国? ズブズブ長州閥 

江戸幕府を倒し発足した明治新政府は、そのスタート直後から腐敗していきます。まず、明治の汚職事件を代表する有名な事件、「山城屋和助事件」を紹介します。これは当時明治新政府の陸軍卿の職に就いていた長州藩出身の山県有朋が関連した汚職事件です。なんと、この山縣、第3代、9代の内閣総理大臣に指名されている御大です(*_*)

 

長州出身の御用商人となった山城屋。山縣のとりはからいで、軍需品の納入を一手に引き受け、莫大な利益を得ていきます。山県もその見返りとして、山城屋から多額の賄賂をせしめます。その後、スキャンダルに見舞われた山城屋は、山県に罪が及ぶのを恐れ、証拠書類を一切焼き捨てて、自殺をします。

 

山城屋の自殺により、事件の真相は闇に葬られた形となってしまい、山県は罪に問われることはありませんでした。 

 

また同じく長州閥の井上馨は、維新後、南部藩の御用商人が管理していた銅山を没収。これだけを取ってもヒドイ話なのですが、その後裏から手をまわし、払い下げ、結局最後に井上はその銅山を私有化しようとしたのです。この事件では、当時司法卿であった江藤新平が徹底的に調査を進め、井上の逮捕寸前まで事は進んだのですが、結局、長州藩閥の力で井上の罪はうやむやにされてしまったのです。

 

明治も落ち着いた頃、幕閣側にありながらも新政府に協力していた山岡鉄舟は、勲三等に叙せられたが、これを拒否してます。その際、勲章を持参した井上馨に、

お前さんが勲一等で、おれに勲三等を持って来るのは少し間違ってるじゃないか。(中略)維新のしめくくりは、西郷とおれの二人で当たったのだ。おれから見れば、お前さんなんかふんどしかつぎじゃねえか」と啖呵を切ったそうです

 

明治維新の功労者、吉田松陰や高杉晋作は、若くして命をたっています。一方、20代でなくなった高杉と、一才違いの山縣は、汚職に手をそめ、最後は元老として政治の世界に君臨しつづけました。そもそも中世から500年にわたりその名をとどろかせた毛利家も、明治維新では、いつのまにか家臣たちに乗っ取られる形で、政治の表舞台からフェードアウトしていきます。勝者であるはずの、毛利藩の殿さまにして、この仕打ち、明治維新という革命は、誰が勝者で、誰が敗者か、そして誰が英雄で、誰が罪人か・・・

 

長州史観を卒業しない限り、本当の意味での維新は終わらないのかもしれません。

 

 ■もうひとつの「まだ早い」

戊辰戦争で、遺恨をのこす長州と、会津。維新後160年たってもその恨みは晴れないといいます。

 

司馬遼太郎さんの著作には、会津青年会議所が、萩の青年会議所より、友好LOM締結申し入れがあったものを、これを拒絶し、地元から喝采をうけたとの記述がありました。 曰く「まだ早い!」 っと

 

 歴史は教科書の中でなく、息吹として人々のなかに眠るもの、家訓ニストは、これが文化だとおもいます。 さて、維新を巡って残る長州と、会津の「まだ早い」の逸話。 平成25年、司馬さんの著作以降、進展があったのか、日本JCの全体会議の機会を活かし、会津JCのメンバーさんに伺ってみました。 司馬遼太郎さんの取材から、30年がたち、友好LOMの進展があったのか?その後経過は、再び萩JCから、友好LOMの打診があったものの・・・ 曰く「まだ早い!」 っと一蹴したそうです。

 

会津JCは、圧倒的に偉い! 家訓ニストが暮らす水戸も、薩長にしてやられ、尊皇の地だったはずが朝敵の汚名をうけた屈辱の歴史をもっています。 他の地域の皆様にとってはどうでもいいことかもしれませんが、誇るべき地域の文化は、建物や絵だけでなく、歴史に裏付けられた「ひと」だと確信しています。

 

100年、1000年たっても、「まだ早い!」といえる文化を釀成するもの、それが家訓です。 会津藩には、ならぬものはならぬで有名な、「什の掟」に加え、初代・保科正之から伝わる家訓、そして宿敵・長州にも、毛利家の家訓が残っています。 あなたが伝えたいものはなんですか?  絶対と思っている価値観さえ、時代の中では、たゆたうもの。絶対に、守らなければならないものをあなたは、自分の言葉で語れるでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 毛利家の歴史

 

(参照:毛利博物館) 

http://www.c-able.ne.jp/~mouri-m/mo_rekishi/index.html

 

毛利氏のはじまり 

毛利氏の祖は、源頼朝の側近として鎌倉幕府の基礎を固めた大江広元(おおえのひろもと)である。多大な功績によって広元が得た所領のうち、相模国(神奈川県)毛利荘(もうりのしょう)を受け継いだ四男季光(すえみつ)が毛利と名のり、毛利氏の歴史が始まる。

毛利荘を受け継いだ季光は、承久の乱の戦功などにより鎌倉幕府内での地位を高め、評定衆(ひょうじょうしゅう)として幕政にも参与した。しかし、妻の実家三浦泰村(みうらやすむら)と執権(しっけん)北条時頼とが争った宝治合戦(ほうじかっせん)が始まると、三浦方に味方して敗れてしまった。

 

安芸毛利氏の誕生

毛利氏の名跡は、季光の四男経光(つねみつ)が引き継ぎ、経光は没収を免れた越後国(新潟県)佐橋荘(さばしのしょう)を拠点とした。経光の四男時親(ときちか)は北条得宗家との縁を強くしたことから、六波羅評定衆にまで出世し、毛利氏の再興に成功した。これによって西国の情勢にも通じた時親は、南北朝内乱を契機に所領安芸国(広島県)吉田荘(よしだのしょう)への移住を敢行する。時に安芸国では観応の擾乱の余波を受け足利尊氏・直冬両勢力が激しく対立しており、毛利氏も一族が分裂して相争ったが、時親の曾孫元春(もとはる)が一族を糾合して吉田盆地一帯に勢力を拡大し、安芸毛利氏の礎を築いた。

 

 

戦国大名毛利氏の台頭 

室町後期の安芸国は、東の室町幕府勢力(管領細川氏やそれと与した尼子(あまご)氏)と西の守護大名大内氏との対立の場となり、毛利氏をはじめとする国人領主(こくじんりょうしゅ)は両勢力の間で翻弄されていた。大永3年(1523)27才で家督を継承した毛利元就(もうりもとなり)は、戦乱のさなかに国人領主連合の盟主となり、 陶晴賢(すえはるかた)による大内義隆(おおうちよしたか)殺害やその後の混乱に乗じて大内氏から自立、大内氏を滅ぼしてその所領を加えて戦国大名となった。その後出雲国(島根県)の尼子氏を降し、西国最大の戦国大名となったが、元就の死後元就の孫の輝元(てるもと)は、勢力を拡大しつつあった織田信長と争い、信長の死後その家臣であった羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に従った。秀吉の下で毛利氏は、徳川家康と並ぶ大大名として秀吉の厚遇を得、秀吉死後の慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いでは宇喜多秀家とともに家康打倒を目指す西軍の総大将となった。しかしその戦いは敗北に終わり、領国を周防・長門(山口県)2国に減じられてしまった。

 

江戸時代の毛利氏 

防長に移動した毛利輝元は長門国(山口県)阿武郡萩の指月山(しづきやま)に居城を構え、この地が江戸時代における毛利氏の拠点となった。輝元の跡を継いだ長男秀就(ひでなり)は、徳川家康の孫娘を正室に迎えて松平姓を与えられるなど、徳川氏との関係修復に成功した。その跡を継いで2代藩主となった綱広(つなひろ)のころには藩の諸体制もほぼ固まり、毛利氏は長門・周防2か国36万9,000余石を領有する西国の大藩・萩(長州)藩の藩主として江戸時代260年を過ごしたのである。

 

 

明治維新と毛利氏 

嘉永6年(1853)における黒船来航は、江戸幕府の諸体制に少なからぬ動揺をもたらした。この事件を契機として、外様大名であった長州藩も各種の献策などによって中央政界の動向に関与するようになる。文久元年(1861)に藩主毛利敬親(もうりたかちか)が藩士長井雅楽(ながいうた)の献策を容れて朝廷に奏上した航海遠略策などは、その最たる事例である。しかし開国による国内の混乱が深まると強硬な攘夷論に転換し、文久3年(1864)の8月18日の政変や、翌元治元年(1865)の蛤御門の変(禁門の変)によって、幕府や会津藩など幕府を支持する諸勢力から排斥されるにいたった。その後幕府による2度の攻撃を切り抜けた長州藩は、倒幕に転じた薩摩藩と同盟を結び、岩倉具視ら倒幕急進派の公家たちと組んで討幕の密勅を入手し、徳川幕府の打倒を図った。その後の戊辰戦争で倒幕を実現した長州藩は、その後の明治維新改革の中軸を担う人材を輩出し、敬親の跡を継いだ最後の藩主毛利元徳(もうりもとのり)も、新たに創設された華族制度の最高位である公爵の地位を授けられた。 

 

毛利家 家訓 

三子教訓状(さんしきょうくんじょう)は、中国地方の戦国大名・毛利元就が1557年(弘治3年)に3人の子(毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)に書いた文書。これを含む「毛利家文書」は重要文化財に指定されている

 

内容(現代語訳) 

 

第一条 何度も繰り返して申すことだが、毛利の苗字を末代まで廃れぬように心がけよ。

 

第二条 元春と隆景はそれぞれ他家(吉川家・小早川家)を継いでいるが、毛利の二字を疎かにしてはならぬし、毛利を忘れることがあっては、全くもって正しからざることである。これは申すにも及ばぬことである。

 

第三条 改めて述べるまでもないことだが、三人の間柄が少しでも分け隔てがあってはならぬ。そんなことがあれば三人とも滅亡すると思え。諸氏を破った毛利の子孫たる者は、特によその者たちに憎まれているのだから。たとえ、なんとか生きながらえることができたとしても、家名を失いながら、一人か二人が存続していられても、何の役に立つとも思われぬ。そうなったら、憂いは言葉には言い表せぬ程である。

 

第四条 隆元は元春・隆景を力にして、すべてのことを指図せよ。また元春と隆景は、毛利さえ強力であればこそ、それぞれの家中を抑えていくことができる。今でこそ元春と隆景は、それぞれの家中を抑えていくことができると思っているであろうが、もしも、毛利が弱くなるようなことになれば、家中の者たちの心も変わるものだから、このことをよくわきまえていなければならぬ。

 

第五条 この間も申したとおり、隆元は、元春・隆景と意見が合わないことがあっても、長男なのだから親心をもって毎々、よく耐えなければならぬ。また元春・隆景は、隆元と意見が合わないことがあっても、彼は長男だからおまえたちが従うのがものの順序である。元春・隆景がそのまま毛利本家にいたならば、家臣の福原や桂と上下になって、何としても、隆元の命令に従わなければならぬ筈である。ただ今、両人が他家を相続しているとしても内心には、その心持ちがあってもいいと思う。

 

第六条 この教えは、孫の代までも心にとめて守ってもらいたいものである。そうすれば、毛利・吉川・小早川の三家は何代でも続くと思う。しかし、そう願いはするけれども、末世のことまでは、何とも言えない。せめて三人の代だけは確かにこの心持ちがなくては、家名も利益も共になくしてしまうだろう。

 

第七条 亡き母、妙玖に対するみんなの追善も供養も、これに、過ぎたるものはないであろう。

 

第八条 五龍城主の宍戸隆家に嫁いだ一女のことを自分は不憫に思っているので、三人共どうか私と同じ気持ちになって、その一代の間は三人と同じ待遇をしなければ、私の気持ちとして誠に不本意であり、そのときは三人を恨むであろう。

 

第九条 今、虫けらのような分別のない子どもたちがいる。それは、七歳の元清、六歳の元秋、三歳の元倶などである。これらのうちで、将来、知能も完全に心も人並みに成人した者があるならば、憐憫を加えられ、いずれの遠い場所にでも領地を与えてやって欲しい。もし、愚鈍で無力であったら、いかように処置をとられても結構である。何の異存もない。しかしながら三人と五龍の仲が少しでも悪くなったならば、私に対する不幸この上もないことである。

 

第十条 私は意外にも、合戦で多数の人命を失ったから、この因果は必ずあることと心ひそかに悲しく思っている。それ故、各々方も充分にこのことを考慮せられて謹慎せられることが肝要である。元就一生の間にこの因果が現れるならば三人には、さらに申す必要もないことである。

 

第十一条 私、元就は二十歳のときに兄の興元に死に別れ、それ以来、今日まで四十余年の歳月が流れている。その間、大浪小浪に揉まれ毛利家も、よその家も多くの敵と戦い、さまざまな変化を遂げてきた。そんな中を、私一人がうまく切り抜けて今日あるを得たことは、言葉に尽し得ぬ程不思議なことである。我が身を振り返ってみて格別心がけのよろしきものにあらず、筋骨すぐれて強健なものにもあらず、知恵や才が人一倍あるでもなく、さればとて、正直一徹のお陰で神仏から、とりわけご加護をいただくほどの者でもなく、何とて、とくに優れてもいないのに、このように難局を切り抜け得られたのはいったい何の故であるのか、自分ながら、その了解にさえ苦しむところであり、言葉に言い表せないほど不思議なことである。それ故に、今は一日も早く引退して平穏な余生を送り、心静かに後生の願望をも、お祈りしたいと思っているけれども、今の世の有様では不可能であるのは、是非もないことである。

 

第十二条 十一歳のとき、猿掛城のふもとの土居に過ごしていたが、その節、井上元兼の所へ一人の旅の僧がやってきて、念仏の秘事を説く講が開かれた。大方様も出席して伝授を受けられた。その時、私も同様に十一歳で伝授を受けたが、今なお、毎朝祈願を欠かさず続けている。それは、朝日を拝んで念仏を十遍ずつとなえることである。そうすれば、行く末はむろん、現世の幸せも祈願することになるとのことである。また、我々は、昔の事例にならって、現世の願望をお日様に対してお祈り申し上げるのである。もし、このようにすることが一身の守護ともなればと考えて、特に大切なことと思う故、三人も毎朝怠ることなくこれを実行して欲しいと思う。もっとも、お日様、お月様、いずれも同様であろうと思う。

 

第十三条 私は、昔から不思議なほど厳島神社を大切にする気持ちがあって、長い間、信仰してきている。折敷畑の合戦の時も、既に始まった時に、厳島から使者石田六郎左衛門尉が御供米と戦勝祈祷の巻物を持参して来たので、さては神意のあることと思い、奮闘した結果、勝つことが出来た。その後、厳島に要害を築こうと思って船を渡していた時、意外にも敵の軍船が三艘来襲したので、交戦の結果、多数の者を討ち取って、その首を要害のふもとに並べて置いた。その時、私が思い当たったのは、さては、それが厳島での大勝利の前兆であろうということで、いざ私が渡ろうとする時にこのようなことがあったのだと信じ、なんと有難い厳島大明神のご加護であろうと、心中大いに安堵することができた。それ故、皆々も厳島神社を信仰することが肝心であって、私としてもこの上なく希望するところである。

 

第十四条 これまでしきりにいっておきたいと思っていたことを、この際ことごとく申し述べた。もはや、これ以上何もお話しすることはない。ついでとはいえ言いたいことを全部言ってしまって、本望この上もなく大慶の至りである。めでたいめでたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■  兄弟の仲を説いた「三本の矢」 

戦前の教科書には、三子教訓状が基になって造られたとされる「三矢の教え」がのっていました。広島に本拠地をおくサッカーチーム「サンフレッチェ」は、イタリア語の矢(「フィレッチェ」)に日本語の「三」(さん)を組み合わせて命名されています

 

「三矢の教え」

晩年の元就が病床に伏していたある日、隆元・元春・隆景の3人が枕許に呼び出された。元就は、まず1本の矢を取って折って見せるが、続いて矢を3本を束ねて折ろうとするが、これは折る事ができなかった。そして元就は、「1本の矢では簡単に折れるが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々がよく結束して毛利家を守って欲しい」と告げた。息子たちは、必ずこの教えに従う事を誓った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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