伊達政宗 家訓

 

 

 

 

 

 

 

 

■伊達政宗の家訓(遺訓)

 

 仁に過ぐれば弱くなる。

義に過ぐれば固くなる。

礼に過ぐればへつらいとなる。

智に過ぐれば嘘をつく。

信に過ぐれば損をする。

気長く心穏やかにして、万に倹約を用いて金銭を備うべし。

倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり。

この世に客に来たと思えば何の苦もなし。

朝夕の食事うまからずともほめて食うべし。

元来客の身なれば好き嫌いは申されまじ。

今日の行をおくり、子孫兄弟によく挨拶をして、娑婆のお暇申すがよし

 

 

伊達政宗(だて まさむね)

生誕 1567年9月5日(永禄10年8月3日)

没年 1636年6月27日(寛永13年5月24日)

 

遺訓の現代風のアレンジ:

人を思いやる気持ちが強くなると意見も言えなくなる。

正道ばかり強調すると頑固になる。

礼も過ぎれば無礼になる。

弁が立つ人は、ともすると騙そうとする。

信用し過ぎると裏切られる。世の中、ほどほどが一番いい

 

■伊達正宗とは?

幼い頃に天然痘(疱瘡)にかかり右目を失明。一説によれば右目を失明した事を生母が忌み嫌い、弟である伊達小次郎を次期当主に据えようと画策し、政宗を毒殺しようとした事件)につながったともされる。

 

政宗は17歳で家督を相続すると、わずか6年ほどで周辺の勢力をのみこみ奥州王と呼ばれるほどに成長していくのでした。遅れてきた英雄ともいわれ、豊臣秀吉、德川家康の後人をはいし、天下取りは叶わなかったものの、いまも人気をあつめる戦国武将の一人です。

 

晩年に、二代将軍秀忠を自邸に招いた際には、政宗はこだわりの食事を出そうとした所、将軍の側近が「毒見をしなければ出せない」と言った事に激怒。「もし秀忠公を殺すのならば毒などという卑怯な手は使わず、弓矢(=武力)をもって討ち取っておる!」と、秀忠に聞こえるように怒鳴ったこれにはさすがの幕臣も閉口し、秀忠みずから政宗をたしなめたものの、歴代将軍からも「仙台のオヤジ」と慕われていたとの記録が残っています

 

東北最大の都市である仙台市の発展の基礎を築いたのも政宗公の業績です。仙台という名は政宗がその地を整備する際に「“千年(千代)”ではなく“仙人の住む地(仙台)”の如く永遠に栄え続ける地にする」事を願って改名したことに由来します。東日本大震災からの復興をめざすべく、いまも成長をつづける仙台には、政宗の願いを無駄にしてはならないという東北人の魂が宿っているのかもしれません

 

辞世の句は、「曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■元祖・育メン 正宗公の生涯

伊達正宗は、勇壮な戦国武将のイメージが強いですが、残された家訓や、エピソードをよむと、元祖「育メン」だったことがわかります。子供のために、食事メニューを考え、また字のお手本を書いてあげたとの逸話も残っています。

  

晩年は美食研究などで知られ、日に1~2時間は二畳敷きの専用トイレ兼執務室に篭って朝夕の献立を考えるほどの熱の入れ様で、そうした政宗の美食研究の結果生まれたのが仙台の名産品として知られる「ずんだ餅」「凍み豆腐」であると言われています。

 

家訓ニストが気に入っているのは、遺訓にある【朝夕の食事うまからずともほめて食うべし】との一文です。戦国武将の勇ましさとは、かけ離れたマイホームパパぶりが好印象です。いいパパぶりを発揮する正宗公であっても、そこは戦国武将。信長→秀吉→家康っと天下人が変わるなか、秘密裡にスペイン国王に密使をおくり、最後の最後まで天下統一をあきらめていなかったっという、「したたかさ」も素敵です。

 

  

■伊達正宗家訓に学ぶもの

元祖育くメン^^ 政宗のアットホームな家訓と対照的に、その生涯は、めちゃめちゃな半生でした。病気で片目を失ったことにとどまらず、実の母からは毒殺を企てられ、実の弟を殺害。そして合戦のさなかに、実の父も殺してしまうことになります。乱世のさなかとはいえ、ここまで劇的な生い立ちをもつ武将は他にありません。そして、恵まれなかった子供時代を反芻取り戻すかのように、自分の子ども達には、深い愛情を注いでいくのでした。

  

 

渡る世間は敵ばかりのすごい人生。事実は小説より奇なり、実の母親に毒をもられるなんて、ドラマばりの劇的すぎる人生です。 しかし、家庭に恵まれなかった分、自分の家族を思う気持ちもひとしおだったのでしょう。ご飯をのこすな、兄弟仲よくしろ、「家訓」という短い言葉の中に、子ども達に大事にしてほしい、人生観を色濃く反映させた素晴らしい家訓です。正宗の死後も、仙台藩の繁栄は続き、仙台は東北で一番の都市に発展しました。家訓は、血をわけた子孫だけでなく、仙台にまつわる全ての人を暖かく見守ってきたのではないでしょうか?

 

つらい経験も、教訓にかえることができれば財産になる。正宗公の家訓には様々な教訓がつまった名文です。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■現代にも生きる「伊達者」の粋

 

伊達政宗は己が持つ能力をフルに活用して戦国乱世の中を生き抜きました。その類まれな体力と根気、そして豪快さとアイディアはまさに戦国時代でも屈指のカリスマであったと言えます。

 

天下泰平の世となっても虎視眈々と策を練って戦国の気風を生涯貫き、自分の思ったことは何が何でも実行するという気骨は多くの人から尊敬された(もちろん、危険視もされた)。歴史学者や歴史小説家も「生まれるのが10年早ければ、伊達政宗は天下を取っていたかもしれない」と言われている事も、様々なエピソードや実際に残されている華々しい経歴・戦歴をみれば納得できます。

 

刀剣女子を魅了する政宗の魅力

もう一つ、政宗が現代人を魅了するものとして挙げなければならないのがファッションセンスです。幾多の英雄が覇を競った戦国時代。「いかに目立つか」というのも男を図る大事な尺度でした。

 

たとえば、合戦の際には存在と手柄をアピールする必要があり、武将たちは競って、ド派手な鎧や兜をつくっていきます。その中でも、政宗は特に奇抜でインパクトのあるものでした。しかし、単に派手で目立つものという訳ではなく、実用性がありなおかつセンスのあるデザイン・色使いのものが多く、彼の陣羽織や着用の具足をもとに作ったグッズはいまでも人気が高いようです

 

その中でも、「燭台切光忠(しょくだいきり みつただ)」との銘をもつ刀剣が人気で、所蔵する水戸徳川ミュージアムは開館以来、最高の活況をみせています。この剣は、鎌倉時代の長船派・光忠作と伝えられ伊達政宗から水戸徳川家に贈られたとされる日本刀です。 

 

元々は、人気ゲーム『刀剣乱舞』(とうけんらんぶ)が人気に火をつけました。このゲームは名刀を擬人化した「刀剣男士」を収集・強化し、合戦場の敵を討伐していく刀剣育成シミュレーションです。

 

備前国の刀工集団の祖とされる光忠によって作られたと言われ、 一説には豊臣秀吉から伊達政宗が拝領したとされる名刀です。「燭台切光忠」という号の由来は、伊達政宗が近侍の家臣に罪があり光忠で斬った際に銅の燭台の陰に隠れているのを燭台ごと切り落としたからとも言われています

 

 

 

 

 

 

 

ダースベーダ―の鎧は、政宗由来!?

 

「伊達男」という言葉の語源が政宗であるという説は有名です。 ちなみに『スターウォーズ』のダース・ベイダーは、政宗所用で現在は仙台市博物館に収蔵されている具足一式がモチーフになっているといわれてます。兜の三日月細工を外すと…うん、だいたいあっています^^ 

 

この事実は、一部のマニアで噂になっていたものが、スターウォーズに登場する人物の衣装、航空機、武器、シーンなどのヒントに使われた物事を紹介している本に、伊達政宗の黒漆五枚胴具足の兜部分の写真が紹介されたことから公認となり、今に至ります

 

政宗のファッションセンスは、400年の時を超え、女子から映画から、そして宇宙?をまたぐものなのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天下どりの最後の博打

海千山千の人生をあゆみ、天下どりを夢見続けてきた政宗。関ケ原の戦いも終わり天下泰平の世になるころ、1613年、海外に目を向け支倉常長をスペイン・ローマに遣わしています。これには貿易による仙台の繁栄は勿論のこと、何よりこれらとの軍事同盟による家康への謀反を企てていたと言われています。

 

常長は日本人として初めて太平洋と大西洋を横断してヨーロッパへ到達。日本人として初めてローマ法王に謁見し、ローマ法王や常長自身の油絵、書簡など貴重な資料を持ち帰っています。

(禁教令により長らく死蔵されていたが、明治維新後に伊達家から蔵を買い取った地元の名士が発見し伊達家へ返却。現在はユネスコの世界記憶遺産となっている)

 

伊達政宗の派遣目的は何だったか

表面的にはメキシコとの通商交渉と欧州への宣教師派遣の要請であったが、ローマまで行った理由はもっと深い理由があるといわれています。政宗が1613年の使節を派遣した時点では、大坂冬の陣・夏の陣の前であり、徳川家康の権力も万全ではないとの見立てがありました

 

もし家康が敗れたときは、政宗にも天下を取るチャンスが来るかも知れない。その時に備えてスペインと同盟し、その軍事力を利用しようと考えていたとも考えられます。

 

晩年に遺した「酔余口号(酒に酔って興が乗ったので詠んでみた、の意)」という漢詩には政宗の生き様が記されています。
「馬 上 少 年 過
 世
 残 所 赦
 不 楽 是 如 何」

 

この詩は、「若い頃は馬に乗って戦場を駆け抜けたが、世は太平になり自分にも白髪が増えた。天に与えられた余生が残ってはいるが、4行目については、「この余生を楽しまずしてどうしようか、いや楽しむべきである。(楽しまずんば是いかん)」、「楽しいと思えないとはいったいどういう事だろうか?(楽しまず是いかに)」と二通りの読み方ができてしまい、いまも研究者を悩ませています。

 

野心ぎらぎらの食えない男・伊達正宗

その魅力は400年たった今も、色あせないないものです
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■大人気・家訓ブログが本になりました!

 

<新刊>口コミだけで7,000人以上が共感!

“家訓のスペシャリスト”の幡谷哲太郎氏が、

初めての書籍『世界一簡単な「幸せを招く家訓」のつくり方』を発売~叱らない、見守る子育ての極意を教えます~

 

 

■書籍概要

書籍名: 世界一簡単な「幸せを招く家訓」のつくり方

著者 : 幡谷哲太郎

発売日: 2015年6月1日

  出版社: セルバ出版 価格 : 1,600円+税

 

URL  http://www.amazon.co.jp/dp/4863672063

 

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    ヨッシー (土曜日, 25 2月 2017 12:22)

    現代版の展開が素晴らしいです。